かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

私にはない「視座」で話をしていました・・・上越での学び③

貞包浩洋さん、時松哲也さんによる『学び合い』のリーダー論について

 

貞包校長先生は、佐賀の公立学校の校長先生。時松さんは、2年前まで付属小学校の校長先生という立場で、『学び合い』をどのように学校経営に組み込んだのか…という話。

 

時松さんは、上越教育大で学んだ後、教諭で付属小学校に赴任。最初は、『学び合い』の「ま」の字も出せない環境だったのにも関わらず、最後は付属小学校の校長。その付属小を改革した一つの方法が、『学び合い』の考えだったということです。

 

 例えば、授業改善をしようと思った時、付属の先生は考え方や方向はことなるが、授業に対する思いはみんな熱かった。だから、授業の所々に、子どもに任せたり、グループといたり、到達目標を明確にしたりして『学び合い』の考えをいれていったんですね。大切なのは、手法や、やりかたを前面にださなければ、やってくれる。『学び合い』を言わないで、教員を引っ張ることが必要。

 

一方、西川先生は『学び合い』は誰でもできる、といっているが、誰でもできないと思う。 子どもたちが一番かわいそうなのは無政府状態。先生が、『学び合い』に対し、肚落ちしていないと、授業が無政府状態になる。そうなると、子どもたちは不幸になる。学校全体でやるのはそこの問題が出てくる。じゃあどうしたら、肚落ちするのかということ。

 

その回答は、貞包先生によると、肚落ちするには、実際に体験しないと分からない。ゼロから『学び合い』をしたときは、3人くらいで『学び合い』をやってみた。1年後は、子どもが変わってきて、『学び合い』を拒絶していた先生が、生徒の変化に気づくようになる。生徒が変わると、先生がそれに乗っかることができる。また、その先生たちが学校の職員室のなかで、話題をだすことで、他の先生たちに意識を自然にさせることで、学校学び合いがひろがった。

小学校の教頭の時は、校長に授業改善をたのまれたので、「校内研だけでは、授業研究はできやしない。」そんな思いで、自分が「社会」の授業をやって、それを、他教科にも生かせるように一緒に他の先生とやった。段々、1人の先生が育ち、そこから、できる人を増やしていった。

 

つまり、『学び合い』の授業のイメージがわかないから、反対をする。だから、実際に授業をすることでイメージをつくっていったんですね。

 

最後に、お二方両方の意見として、「『学び合い』の実践者のかたは、管理職になって欲しい。」ということ。『学び合い』をしたい先生が楽に授業ができる環境をつくるのは管理職しかできない。それは、先生たちの幸せ、働き方改革につながる。また、管理職になれば何でもできるわけでもない、できないこともある。でも、できることもある。授業改善するときは、管理職の方がやりやすいし、進めやすい。もっというと、『学び合い』に挑戦したい人を、とめない。色んなしがらみがあるけれど、応援やアドバイスできるんですね。

 

 貞包先生も時松先生も、両方管理職を経験されている方々なので、私にはない視座の話をしていました。ホントに楽しそうに話をしていました。『学び合い』ができない環境かもしれない、でも『学び合い』は考え方だから、いろんなところに忍び込ませればいい。例えば『学び合い』といいたくなかったら、協働型個別最適化学習と言えばいい・・・。仲間を少しづつ増やしていけばいい・・・・。そんなメッセージを受け取りました。

 この先、自分のキャリアは「健康」と「家族」を第一優先に考えることは揺るぎませんが、その場で任されたことを一生懸命やって、自分に与えられたミッションをやって、『学び合い』を研ぎ澄ませていこうと思いました。

 

ありがとうございました。