かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

「報告連絡相談」で、「相談」」しか聞かないのは・・・

オンラインゼミ(https://bit.ly/3lMsgHn)で自分の質問に対する回答。

 

〇西川先生は「報連相」で「報告と連絡」は聞かないで相談しか聞かないのはなぜですか。

 

そもそも、「報告と連絡」はなぜ必要なのかとうこと。現状を把握して対応をする・・・・となるけれど、そんなことは無理。子どもに関して、現状把握はできないし、できたとしても何もできないのが『学び合い』。

 基本的に、管理職は、初期段階で自分たちが達成しなければならないことを納得させることは必要。それさえやっていれば、あとは自立的に解決できる集団をつくるべきだと思う。それをしているから、「報告、連絡」はいらない。限りなく少ない枠組をあたえ、やらせればいい。

 例えば、私は院生に対して「年間150時間の実習をいっていて、一定以上の回数ゼミに参加していれば、私はどんな権力を持っていたとしても、あなたがたを落とすことはできない」と言う。だから、「遊ぶ」という選択肢を選ぶこともある、ただし、「おれの人生にマイナスはないし、君らは損をする…2年間という時間と学費と生活費をかけている。これで得られることは、免許だけ?それよりも得られることが多い方がいいんじゃない」と、言う。

 あと、「相談」だけにする理由として、言う側が、報告連絡することによって、自分は責任を負わないという免罪符にする気持ちも嫌。どんどん自分の頭で考えなくなるから。

 ただ、私がそういうことをするのは、一定数の有機的な集団だから言える。個人にやるのはきつい。何も分からない人間に、報告連絡をしないで指導をするのは過酷。だから、若い教師が何も教えないで相談にも乗らないでやったらつぶれる。でも、同僚とか先輩後輩がサポートしてくれる集団だったら、管理職がわざわざいうこともないだろうし、言うべきではない。

 休職が多い職場は、そういうサポートがないんだろうね。管理職の問題なんだろうなぁ。職員集団が作れていない。特別支援学級の人数比が高い学校は、管理職にがね・・・。先生によって、「ユニークな生徒」とみる人もいれば、「手のかかる困った子」とみる人がいる。後者の場合は、やたらめったら特別支援学級に送りたがる。たった一人の先生によって、比率が変わることはない。ということは、かなりの人数の先生がそうおもっていることになるので、管理職による。『学び合い』をしっかりやっている学校で、小さいな学校だったら特別支援学級はないところがある。だって、問題ないからね。

 

職場だったら職員と管理職や主任、クラスだったら子どもと先生へという関係の中で起こってくる問題。しかしまぁ、何でもかんでも管理職に報告していたら、管理職は自分の仕事をする時間はありません。担任の先生も同じことです。だから、ある程度「ゴール」を明確にして、方法は任せるようにしたほうが、お互いが得になると思います。ただし、集団ができているという前提なんですね。その集団ができるまでは、個別対応とのハイブリッドもかんがえていかないとなぁあと感じました。