かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

西川ゼミの体験振り返り(その1)・・・上越での学び④

越後『学び合い』の会では、ライブでの西川ゼミ体験を行いました。いつもは、画面越しで体験をしていましたが、やはりオンラインとは異なりました。「空気」というか、「雰囲気」というのが、伝わってきますね。改めて『学び合い』は、手段方法ではなく、「考え方」なんだということを実感です。

主だった質問を整理してみました。

 

(1) 西川先生が退職した後、今後『学び合い』で困ったり、相談したりしたとき近隣に相談できない人や仲間がいない場合どうしたらいいのか。

 →つながりをつくること。私がいなければなんとかということではない。ニュートンは近代物理学をつくり出しましたが、ニュートンがいなくなっても物理学がなくなっていない。また、その程度の『学び合い』ではないと信じている。これからもっともっと、求められる時代になると思うので、どうぞがんばってください。

 

(2) 「2020年激変する大学受験」のうようい、予言した通りになっていますか。

 →結論からいうと変わっていない。私が想像していた以上に、工業化社会のくびきはきつかった。では「変わっていないか」、というと、「変わっている。」結局、市場占有者は改善はできるが改革はできない。文部科学省都道府県教育委員会の情報は全くスルーしている。何が変わっているかというと、一条校を捨てる保護者や子どもが激増。

ムーアのキャズム理論によると全体が16%の壁を超えた瞬間、パンデミックが起こる。今1学年70万人くらいだから、11万人がキャズムになる。この領域に達するのは、N高等学校の倍々ゲームからいうと、長くて5年。実際テレビとかで、不登校といっていますが、不登校は否定的ではなく、積極的に自分にあった教育を選んでいる保護者、子どもが増えていると考えてみると、激変する。

桜田門外の変から幕府の権力が強かった時代からたった10年で江戸幕府は崩れた。それは、急激だったというとそうではない。それまでの長い間の変化を見落とした人は急激に変化したと思う。しかし、変化はすでに行われている。今回の改革は産業界からの最後通達になる。もしも、これに答えられないのであれば、産業界は教育に対しレッドカードを出すとみている。

 

(3) 異国籍の生徒における支援の仕方

→教師は、ある問題がある子をみると、その問題を解決しようとする。しかし、我々は、30人の子どもをみとることになる。その中で、「その子、そのこと」を解決することはできない。「その子、その事」を解決できるのは、子ども集団。我々ができるのは、支え合い、問題を解決できるような数段をつくることだけ。どのような支援がいいのかというのは、そんなのわからなくてもいいしわかる必要もない。それを考えるのは子ども。

 

(4)「不立文字(ふゆうもんじ)」について

→文字だけでは伝えきれない。その人をみて、それを悟った人間をみることで、その人の生き方から学ぶということ。ただ、そのことは1回の授業でわかるとは思わない。一定期間。ずっと生活を共にして、その中で多様な場面で、その人がどう行動するのか、判断するのかを多くの目で見て、それによって見取るもの。

校長をみとるのは、おそらく職員室の集団の中の、オピニオンリーダーが素早くそれをみとって、それを周りにひろげることをやっているだろう。それは、悪い意味でも、いい意味でも、「不立文字」。その校長が「何を言うか」、それよりも「どう行動しているか」ということで、多くの情報があり、その言葉の意味がわかる。

 

(5)『学び合い』をやり始めた時の志を持ち続けるにはどうしたらいいか

→『学び合い』にも階層がある。「その日の分かりやすく楽しくする」という次元もあります。いや、学校レベル、大きな社会レベルで「どのように生きるか」ということを学ぶ次元もある。

我々は、急流の中に流れている小船だと思います。何もしなければ、退化していってします。必死になって現状維持、さらに必死になって進歩するものだ。求めるときに、自分の求めるものが同じであった場合、それはやがて腐る。「もっと、もっと」と願うことが、実は新鮮な思いを持ち続けるものだと思う。どうすればいいのか。それは、そういう志を持っている人とつながること。では、そういう人たちはなぜつながるのか。実はそういう人たちはいつも志をもっているわけではない。多様な志を持つ人たちとつながることで安定した志を持つことができる。ま、授業レベルはもう卒業している。是非、学び合いの「ま」の字がかかれていないものを読んでください。

私は、次は。今の西川研究室の姿は何かをまとめたい。

これから、不登校特例校の特例校の特例がなくなった学びの多様化学校が増えていく。そのとき、どのように教えたらいいのか。板書じゃない発問じゃない、それは今皆さんがやっている、「さあどうぞ」ではない。もっともっと自由で、個別最適な学びをやっているんです。それに対する理論的な背景や方法論は確立されていない。では、それは西川研究室でやっていることかなと思っています。それを明らかにしたい。

 

(6)新課程では様々な評価をすることになっています。教員が意識することは何か。

→もし、あなたの志が、「子どもたちの一生涯の幸せを願う」のであれば、普通にやっているものは「く〇」です。どうだっていい。何を注意すればいいのか。分からん管理職からごちゃごちゃ言われないように、それっぽいことをやればいい。

 

(7)ワークライフバランスについて

→退勤時間になれば帰ればいい。どんな法規を見たって絶対に勝てる。帰ればいい。帰れないのは、中堅ベテランの教員が帰らないから。そこが問題。私が働いていた時は、先輩方が手の抜き方を教えてくれていた。残念ながらそれは弱いのかな。国が、教員採用試験の倍率が下がると質が落ちる・・・・。自分が分か手だった時質はたかかったのか?どうせあんな試験で、教員の質ははかれない・・・。何ではかるかというと、それは、研修でもなく、本でもなく、最大のことは、務めている学校と言う教室であう。言い、中堅ベテランが若手を守る。それによって、中堅ベテランが守られるその環境がありさえすれば教育の質は保たれる。そのためにも、帰る。その代わり、5つの挨拶。「おはようございます」「「失礼します」「ありがとうございます」「お先に失礼します。」「何ができますか」を勤務時間に徹底して、好かれるようになれば許される。そういう姿を若手に見せることで、若手も帰れるようにする。

 

続きは、次回になります。