かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

自分なりの教育観をもっていることが・・・上越での学び②

 小学校、中学校、高校で、『学び合い』を行っている先生(小島章子先生、福島哲也先生、今井清光先生)による、パネルトーク。『学び合い』の出会いから、初期、現在、展望についてがテーマでした。その中での気になった内容。

 

〇 中学生は、集団作りを軸足いしている。高校生は、入試とかに意識が行く。目指しているところは同じなんだけれど、語る言葉や表現なんかを意識してる。

〇「生物の生存戦略」ということが腑に落ちている。ある番組の中で「植物は強いものが生き延びるのではなく、植物はお互いメッセージを出し合い、弱気を助けあって生態系を維持している」ということが言われていた。それは、『学び合い』と同じ。やっていないんだけど、そういうふうにふるまったり、そういうふうな授業をすればいいんだろうなぁと思ってやっている。

〇『学び合い』について自分なりに「こういう捉え方をすればいいのだな」、というのが見つかると、理論が腑に落ちる。そのキーワードが「自然体」。

〇「~べき」にしばられると自然体になれないのではないか。世間にしばられないことに疑問を持つ。

〇多様性が認められる社会。「それでいいのだ」という言葉。それをお互い承認すればいい。自分の基準を他人に押し付けることはおかしい。でも、人権は、守られるべきで、授業の中で、学力に課題がある子供がいるとき。それをそのままにしない集団にしていたい。

〇 これからの展望を考えるとき、一番考えていかないといけないのは、「西川純の引退」。後ろ盾がなくなるわけだから、自分の教育活動において『学び合い』をやっていくためには。自分の物差しが何なのかを問い直すことをやっていかないといけない。一人一人が覚悟を持ってやっていかないといけない。

〇「生物の生存戦略」は絶対。そこに、色々な人がそれを目指して色々なことをやっていく。『学び合い』はその一つの方法なのではないか。

〇 指導の軸足は「生徒」なのか「自分」なのか、それがどこのあるかが大きな差がある。

〇 子どもが育たないといけない。だから、「一番育つのはどれだろう」という視点で職員集団も考えるようにしている。思い通りになるかどうかではなく、育つかどうかである。

〇任せるところの難しさ。子どもたちにとって、「任せられる方が得である」ということを授業者が語れるか、伝えられることができるかどうが大切。

〇『学び合い』で挫折するのは、思った形にならないから、挫折をするのか、子どもが育たなかったから挫折をするのか。

〇自然体と言う言葉は、そもそも子供たちはもともと力がある。解き放てばいいだけ。そのときはなつときにひつような考えが『』。しらないより、知った方がいい考え。

〇 自分が幸せでないと他人を幸せにできない。その、幸せな思いにさせてくれたのが『学び合い』。

 

『学び合い』は、方法ではなく、「考え方」であるということを書籍でもゼミでも話題になります。ゴールにたどり着ければ、方法はあまりこだわらなくていいんですよね。でも、自分なりの教育観(哲学)を持っていることが、未来の自分を支えてくれるのではないかと感じました。だからこそ、自分をアップデートし続ける必要があるんですね。

 

ありがとうございました。