かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

「公平」と『学び合い』・・・

 キングコングの西野さんのボイシーの内容(6月23日)で気になったことがありました。それは、「DE&I」という内容で、企業経営において「ダイバーシティ(D)、インクルージョン(I)」が取り入れられているが、「Equity(公平性)」という概念が加わり、「ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)」が世界的に推進されているという。「公平性」ということは、「公平にしよう」というわけで、「平等にしょうではない」という話です。

「平等」は、全員にみんなに同じだけのチャンスを与えること。「公平」は、個々の能力にあわせてチャンスを調整すること。みんなが最終的に同じくらいになるように、個々の能力にあわせてチャンスを調整すること。

体重が違う人どうしのボクシングを例にしていました。同じグローブをして戦うのが「平等」。体重が重い方の人のグローブを軽くして、体重が軽い方の人には硬いグローブを渡すということ、これが「公平」。体力体格、能力が違う人に、平等にチャンスを与えてしまうと、結果としてその差はうまらない不平等になる。平等ではなく平等にしましょう。弱い人を結果としてえこひいきしましょうというのが、DE&I。世界的には、多様性、包括性、公平であるということ。

 日本にいると、「公平」よりも「平等」ということのほうが協調されているような気がします。そうえば、コロナ禍で休校になった時、自分の持っている端末で子供とつながろうとしたら、端末を持っていない家庭があるからという理由でできなかったことを思い出しました。結局、平等にチャンスを与えようとしたら、全員チャンスがなくなってしまったということです。それよりも、このような場合は、端末を持っていない家庭に貸し出しをするなどして、特別な配慮をして、全員が端末を使えるようにしてチャンスを調整をすれば、全員が前に進めたのでは、、、と今さらながら「公正」にするということの意味を考えさせられました。

 この「公平」の考えは、『学び合い』で大切にしている「一人も見捨てない」という考えにつながっているのではないかと気づきました。時代の流れが、目に見える形で学校にも徐々に到来してきています。「一斉授業」という平等に学ぶ方法から、『学び合い』などの公平に学ぶ方法へシフトしていくということが、その一つかもしれません。

 そんな変化に対応できるために、「学び」と「発信」を継続していこう・・・・。そんなことを気付かされた内容でした。