〇「コミュニケーション能力」を育てる?
一般の先生方の学力観は、生徒一人一人に同じものを叩き込もうと思っている。でも、一人一人の頭の中身なんてスペックも違うし、OSも違う。はいるものと入らないものがある。どうするか、「それらをつなぐということ。」がもっととも普遍的にすべての子どもにその能力を与えるということになる。
カリスマ教師は、その人だからカリスマ教師なわけで、その人の授業やテクニックを学んだってカリスマにはなれないと同じで、その人がコミュニケーション能力を育てようなんていうのはナンセンスである。その子が、コミュニケーション能力を必要としたとき、相談し手伝ってくれる人とつながっていれば問題ない。じゃあ、どうやってつながるか、それはコミュニケーション能力ではなくて、自分は見捨てられない、そういう安心感である。
また、これからの社会はコミュニケーション能力が必要だから、君もコミュニケーション能力を高めなければいけないよといったって、「そんなこと言われても、私は無理だ」とトライしない子はいる。そういう子たちにも、「みんながペラペラしゃべれるわけでもなく、しゃべらなくてもいい。その代わり、今の君のままの語り方を理解して、ちゃんと聞いてくれる人とつながればいいんだ。それなら、今いるでしょ・・・、勉強わからなくても教えてくれる人いるでしょ。教えたら、ありがとうと言ってくれる人がいるんでしょ。十分でしょう。」って、伝えるのもいい。
個別最適化の教育が求められているにもかかわらず、“すべての人に同じことを教えなければならない”という考えがまだ自分の中にあるということに気づきました。また、コミュニケーション能力は、スキルではなく、「いかに他者とつながることができるか」ということであり、それを「授業」を通して生徒には伝えていこうと思いました。