オンラインゼミ(https://bit.ly/3lMsgHn)で仲間の質問で気になった内容がありました。
〇「理論」はなぜ必要なのか?
それは、行動がぶれがないため
憲法は、なぜあるのか。憲法は政府をしばるため。じゃあ、ちゃんとした政府だったら必要ないのか?そうではない。自分たちをしばっているものが何であるかを理解するこでぶれのない行政ができる。法が動く。明文法は必要。
経験値は何となくわかるけれど、明文化されていない。それは、ゆらいでしまう。だから、理論は短いコンパクトの言葉で表現されるようになってはじめて、それが普遍的であり、普遍的な状況において自らを縛る判断の基準となる。何となくではダメ。
何か聞かれたら、こたえることができる。同時に聞かれたことに対してちゃんと、明文化したことが言えるし、実証的データがどういうものがあるか言える。こういうことができるようになると、行動にぶれがなくなる。
例えば、伴侶を大事にする理由が言える。一方、夫婦は「愛情」が大切という視点もある。ただ、感情だからはぶれがある。そのブレ幅をちいさくするのが、一貫した理論。問題に出会ったことはあった場合→「理論」がでてきて「無理」とわかるから、「感情」の暴走をとめるのが「理論」はできるということ。
こうやって、仲間の質問を聞くことで、新たな気づきがあります。そして、内容を明文化することで、自分の考えにぶれがすくなくなるということにつながるんだな、と再確認しました。