かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

『学び合い』の授業参観 in 茅ヶ崎 ・・・

先週末は、藤田純祈先生の『学び合い』の授業参観。私と同じ中学の先生ということで、以前から授業を参観希望していました。色々なタイミングがかみ合い、ようやく今回実現しました。中学3年生の社会を、私を含め3名の現職の先生と、2名の学生と参観しました。

 

 チャイムが鳴ると、藤田先生は「今日は〇回目だから、小テストも含めてうまくやってください。さあどうぞ・・・」と授業が始まりました。課題は歴史の復習。生徒たちは、それぞれで課題を進めていました。小テストを受けるのは自由で、自分のタイミングで受けられます。その場で小テストは採点され結果が返されます。間違っていても笑顔もどってきてもう一度見直しをする・・・そんな光景がたくさん見受けられました。そしていつの間にか授業が終わっていました・・・。

 

 2時間別々のクラスの授業を参観しました。特に語りもなく、「さあどうぞ・・・」ではじまる『学び合い』です。実際の生徒たちは、50分の授業の中で、自分のペースで課題を進めていました。誰一人として、違う課題をやったり、ずーっと関係ない話をしたり、何もしていなかったりという生徒はいませんでした。また、課題をしながら「めんどくさい」とか「やりたくない」とかの否定的な言葉は一つも出ていませんでした。小テストを受けても、すねたり、答えを写して終わりの生徒もいませんでした・・・。ひたすらに課題をやっているのです。私の授業では、上記のことをする生徒がいることがあるので、見ていて気持ちの良い授業でした。

 

このような環境がどのように形成されたのかの疑問を、授業の後に藤田先生に質問しました。

 先生によると、3年という月日をかけてここまでになったということ。最初は、遊んでいる子もいるし、やらない子もいた。できないことを隠してしまう子もいた。そんな中で、いろんな方法、考え方を共有して、徐々に今の状態になった、ということでした。色々と話を聞く中で、特に大切にしている考えが、

 

「「わからない(できない)」は「悪」ではない。」ということ。「わからないことでもいい。わからないがあるから、わかるがある。わからない気づかない限り、わかるは生まれない。」

 

ということを子どもたちに伝え、「自己開示」をする場をつくってきたということかなぁと思いました。

 

つまり、「自分ができない」ということを授業者も含めて、オープンにする、ということが大切だということなんですね。一斉授業では、「できない」を隠しても成立するけれど、『学び合い』では、できないことをオープンにしないかぎりは、誰からも教えてもらえないですから・・・・。

 

 また、「「自分はすごいんだ!」と、いうことを思って卒業していってもらいたい。」という願いがあるともおっしゃっていました。そのためには、できなくても友達から教えてもらって一瞬でもわかったなどの経験を授業で行う、、、、それが『学び合い』でできるという事なんですね。そうやって、藤田先生が大事にしていることを『学び合い』で実践していることがよく伝わってきました。

 

で、話を聞きながら、それって、私に対し、「あなたは教師として何を大事にしていますか?」ということを問われているような気がしました。それがない限り、自分(金井)の『学び合い』にならない・・・。

 

現時点では「10年後、20年後の子どもたちの幸せを願う・・・」としていますが、もう少し具体的に、「私は教師として何を大事にしていくのか?」、ということを言語化していくことが、次の私の課題であるということ。そして、どのように「自己開示」する環境をつくっていくのか、ということもあわせて考えていこうと思いました。

 

そんなことを考えさせられた授業参観+懇親会でした。色々な仲間との対話も含めて、自分の思い込みの枠がすこし外れたような気もしました。まだまだ振り返る内容はありますが、それは、「『学び合い』はしない一段上の『学び合い』活用法」を読み返しながら、また別に整理ですね・・・。

 

 このような機会を作ってくださった、藤田純祈先生に感謝です。どうもありがとうございました!!また、一緒に参観してくれた仲間にも感謝です。