かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

退職される前に一回はライブで参加してみたいなぁ・・・・

2月3日にYouTubeにアップされた西川先生の大学での講義を視聴しました。しかし、あまりにも大切なエッセンスがあり過ぎと感じたので、面白そうだから文字おこしをしてみました。1万文字くらいになりました。

オンラインゼミ(https://bit.ly/3lMsgHn でも話題になっていることもありましたが、90分の講義の流れの中で、それぞれが関連して点が線になって理解が深まりました。大学での講義ですから、これから教師になろうとしている方へのメッセージのように受け止められますが、教師生活が長い私であっても、考えておかなければならない、また、心に留めておく必要がある内容ばかりでした。西川先生のパホーマンス(間の取り方、話し方、顔の表情など・・・)も参考にもなりました。

退職される前に一回はライブで参加してみたいなぁ・・・と思いつつ、こういう講義をYouTubeでアップしてくださって感謝です。

 

【大学での西川先生の講義】

https://www.youtube.com/watch?v=KSB2JJVB9uw&t=921s

 

教師を目指す学生にとって、西川先生が最も大事だと思っていることを話す講義。

最初に、二つの質問

 

【①教師である皆さんが子どもたちに与えられる最大のものは何か】

【②①を与えるためにどのような職能(教師としての能力)が必要か】

 

大学1年生で先生を目指している人が多いが、学年が進むごとに教師ではない道(地方公務員)を選ぶ人が増える。「その選択は正しいのか?」ということ。教師を目指す人は、地元志向、安定志向。ただ、最近は、教員のブラック勤務が課題であるが、教員以外の道に行けば解決するのか?

 

民間の3年間の離職率は、政府統計によると、だいたい30%。日本は、終身雇用の国であったが、ところが3割やめている。実は、業種によっては50%の離職するものもある。そして。公務員の離職率は、1%。教員の離職率は、なんと0.47%である。教員は、ブラック勤務といわれるが、もう一つの選択肢としてあげられる公務員よりも離職率は、半分以下。だから、教員という道は、相対的に安定的な職業といえる。残業が多いというのもあるが、地方公務員もないわけではない。問題ある子どもと、問題ある大人、どちらを対応するのが許せるか?大学に入り学年が上がるにつれ、自分の進路で悩むでしょう。でも、数字はうそをつかない。教員という職を選択することは、それほど悪くない。

 

「本当に教員が天職なのか?」と悩むかもしれません。でも、転職なんかない。だって、実際に就かないとわかんないから。これは、自分の一生の相手を選ぶのと一緒。結婚相手はこれでよかったのか。しかし、「結婚も職業も正解はない。」。正解なんてわかるわけない。 

 

じゃあ、どうすればいのか。結婚した相手が自分の最高の伴侶であるように、「あなたがやることをやる」こと。相手にとって自分が最高の伴侶であると思われるような行動をすること。また、あなたが選んだ職業が天職であるように思えるように毎日を過ごすこと。

 

「他人と過去は変えられない。自分の未来は変えられる」。正解はない。正解は、探すものではない。クリエイションするもの。

 

 教員養成大学を選んだ学生が、そのキャリアを活かす最大の方法は教員。どんな職業についても、くそみたいな人生を送れるし、くそみたいな職業と他人から思われても、それを最高の人生の糧とすることができる、結局は、自分が選ぶ。自分が、今日からできることで決まる。悩まずに、今の道を進むことを願う。

 

 しかし、退職をしない、辞めないということを語りたいのではなく、私は、教師という職業は、きわめて誇り高い、そして、一生をかける職業であるということを語りたい。ただし、これから話すことは、圧倒的大多数の大学教育に反することである。そして、皆さんは、圧倒的大多数の大学の教員から私と真逆のことを聞く。私は、変わりものだ。笑ってください、でも考えていください。私は私の考えを語る権利はある。

 

 【教師に教科に関する深い造詣(深い読み、深い理解)は必要か】

 

 私は不要であると考える。足し算を伝えるとき、代数学を知っている必要はあるか。認知心理学から、エキスパートノービス研究というのがある。それは、ある領域に関して卓越した人と初心者がどういう思考をするのかという研究分野がある。その中の結果として、自動化というのがある。それは、「人は、知れば知るほど、その領域に関する課題に対して、素早く正確に対応することができる」ということ。これは常識と同じ。ただ、「そのことを伝える能力を失う」ということが明らかになった。人はある領域のことを深く理解すればするほど、教えることができなくなるということ。私は、生物と物理専門であるが、化学と地学は専門ではない。その人間が地学を教えた。実際では、地学の方が一番生徒はわかってくれた。物理・生物はわかってくれなかった。

 

なぜ、地学の授業が成立できたのかというと、それは「何も知らないから」。自分が分からないから、悩んでいると、あるとき話がつながることに気づく。子どもたちが、ひっかかることがよくわかるから、ひっかかることを乗り越えるにはどうすればよいかわかる。また、吸収できる程度もわかる。生徒が悩んでいる姿は、自分が悩んでいる過去の姿と同じということ。

 

 「あることがわかる」ことは、プラスだけではない、マイナスになるときもある。教科の内容をほんとに深めるということは、人生をかけるレベルだと違う。そうなると、その人が語っているだけでいい。でも、それは、生活のレベルになっている人。仮に、中学校・高校の数学の先生であれば、生活の中に組み込めますか?専門書を読んだり毎日続けられますか?さらに、小学校の先生は全科でできる?それは無理。初任として採用されたら無茶苦茶忙しい。小学校の先生であれば、毎日毎日、5時間くらいの授業案をつくらないといけない。話の展開、板書計画など考える・・・。初任で校務分掌が少ないとしても大変だ。

 

【一番最初に教員としてできることは何だろう?新規採用者としてやるべきこと、高める能力は何だと思いますか。ある5つのことさえやりさえすれば、教師として生き残れる。ある2つのことをやりさえすれば、子どもから認められる。それは何ですか?】

 

あなたがたが授業で失敗しても、学級崩壊しても、それでやめる教師はいない。教師を辞める人はその原因は、職員室で居場所がない人。授業で失敗しても、「俺もそうだった・・・」と言われていれば生き残れる。生き残ってもがけば、少しずつ成長する。一番大事な能力は、「先輩にかわいがられる能力」である。では、どうやったらいいのか?

 

「おはようございます」「ありがとうございました」「すみませんでした」「お先に失礼します」ちょっとでも余裕があれば、「何か出来ませんか」このことをやれば生き残れる。そして、徹底すること。苦手な先生であっても、間が悪くても・・・、挨拶をする。挨拶は無敵です。皆さんが経験も技能もない、でも、無意味にエネルギーと時間はたくさんある。結婚したら、自分の時間はない。家族のために使う。印刷したり、重たい物を持てばいい。それができると無敵になる。そして、応用編、「感謝は形にする」こと。どっか行ったらお土産を買ってくる。事務室などにも・・・。お陰で事務の人からかわいがられた。

 

【教育実習で、上手い教員と指導教諭の先生と子どもたちに思われるには。】

 

嫌われる教師の特徴は、①声が聞こえない。②言っている言葉が分からない③言っている内容が分からない つまり①音としてきこえない②日本語としてきこえない③意味がわからない。つまり、①②はすぐできる。①は、肚に力をいれて話すこと ②一つ一つの言葉を区切ってしゃべる(暴走しないように・・) それで、その人に才能がなくても一定のラインまでいける。聞こえなければ、どんなに良い授業しても意味がない。わかってもらえることが第一の方法。

 

次に、表情をコントロールしましょう。笑いましょう。笑いたくない時でも「笑う」練習をしました。子どもたちの中には、攻撃することで守る子がいる。その場合、言われたら、攻撃的な言動ではなく、それを吸収するような対応ができる必要がある、「おめー死ねよ」と言われても、「はははは、やめてくれよ。お前が嫌いでも、おれはお前が好きだよ」と、白々しく言えるような対応ができる必要がある。

 

また、そのような攻撃でなかったとしても、子どもからの一言に関して、どのように対応しなければいいか分からない時は、頭の中で考える一泊を作る方法で「笑う」。明石家さんまさんも、笑うことで、間を作っていると思う。皆さん全員出来る。これだけです。教材研究で10時間20時間・・・かけるより効果的だと思います。それは、信じようと、信じまいと・・・。

 

実は、こういうことも、先輩教師から教わった。よく飲みに連れて行ってもらった・・・。そこで教わった。そんなの、大学で教わったことない。教師用図書の中にも書いていない。しかし、そのような暴走族相手に授業を行っていた先輩方は、どうすれば生き残れるかを知っていたということ。それを学ぶしかない、

 

皆さんが務める学校には、務める学校なりの必要な能力はあるでしょう。都会や、地方、大規模、小規模・・・それぞれの学校それぞれの子どもには、それぞれに対応した能力が必要。それを知っているのは誰か?それは、そこで生き残っている先生方。よき先生を認め師と仰ぎ、それから多くを学ぼう。このレベルを守るだけで、暴走族相手に授業することできた。だから、みなさんも若さで、ゆっくりと話すことで子どもを引き付けることができる。

 

でも、どうしても私に反抗するやつがいた。悩んだ、先輩に相談した。そしたら、先輩はそれは「あいつはあなたが好きだ。」それは、昔から、教師に反発するというポジションにいる。だから変えることはできない。外で対応する。ガソリンスタンドで会った。見た目はどうであろうと、子どもはこども。

 

 授業のうまさで授業を成立させる、ということができる先生もいる。でも、それには卓越した技術と技能が必要。一方、クラス経営を成立させれば、凡庸な人間であっても授業は成立できる。授業を成立させようと思っているのが、教師だけではなく、クラスのみんながそう思っているから。1時間を楽しもう、1時間でなんかやろう・・・、そうやってクラスが分かっていれば、授業が面白くなくても大丈夫。話がつまったら、面白いことを言うやつに聞く。そいつが話すとみんな聞くという子どもがわかれば・・・。常に自分がやるのではなく、クラス経営で、ボタンを押しながらうまくやれば省エネでうまくいく。しかし、なかなか難しい。結局。これによって、子どもたちが授業を聞くようになる。これができると暴走族でも授業を聞くようになる。

 

この瞬間は、快感。でもこれは、こまかしである。

 

クラスの中には、知能指数的にできないという生徒はいます。ではどうしたらいいか?すべてのこどもにわからせることができないが、「わかった気にさせる」ことはできる。なぜかというと、分からない子は、「わかる」という状態が、どういう状態であるかということを知らないから。だから、教師が「お前はわかった」ということを連呼して、刷り込みさえすれば、その子はそれを信じる。「人は、信じたい嘘を信じる生物」だから。仮に、20点の子がいたとします。でも「おまえ20点だけど、解答はセンスがいい。20点だけど、お前は物理が分かっている。」と言えば、そいつは信じたければ信じる。そういうことをやりさえすれば、問題なく子どもたちは、楽しげに私の授業を受けることができる。

 

しかし、授業を成立させるという壁を超えると、次に見える景色が見えてくる。それは何かというと、生徒が一人一人抱えている業です。子どもたちは、いろんな話をします。ある子が、母親は男を加えこんで、寝ている横で性行為をしている。娘が起きているということをわかっているのに・・・。みなさんはそれを子供から相談されたら何と答えますか?私は固まりました。

 

そして、先輩と飲んだとき相談した。私はどうすればいいのか・・・。先輩は。「一人の人を救うのはものすごく大変だ。君の人生をかける覚悟がなければ無理だ。君は、子どもを個人的に救おうと思ってはいけない。そうすれば、君が本来守るべき家族を守れなくなる。教え子よりも家族を大事にしなさい。だから、そういうところには入ってはいけない。」と言われた。それから、その一線を超えてしまって、子どものパーソナルな問題に関してしまって、その先生がどのような末路になったかの事例を教えてもらった。悲惨です。だからその一線は守ります。でも、つらかった。だって、子どもがどんな状態であるか、そして、私の授業のときにはちゃんと聞いていて、なついてくれて、抱っこしてくるような子ども、かわいいです。でも、それを救えない自分が許せなかった。でも、救ってはいけないこともわかった。私は、高校教師の時、毎日最低一升瓶をあけていた。そして、「俺はやったと、おれはやった。」と自己憐憫にひたっていた。

 

しかし、そんなことによって救われる子どもはいない。そんなのが慰めにしかならないことは知っていた。でも出口がなく、ぐるぐると・・・。そんな時、大学からオファーがあった。私は悩んだ、苦しかったけれど、やりがいがあったし、楽しかった。子どもはかわいかった。だから、5人のお世話になっている先輩に聞いたら、5人が5人、大学に行きなと言われた。「このままじゃ、死んじゃうかいやらしい教師になってしまう。だから、大学にいきな・・・。」そんなものかと思った。かわいがってくれた先輩から、そう言われたのはショックだった。ある先輩から言われた、「あなたには嫁さんを紹介しない。」なぜか、「あなたは長く生きそうにないから・・・」と言われた。きっとその当時の私はそうだったのでしょう。全力疾走やっている、余裕がなくて、はぁはぁ言っていたんでしょう。いつか、この線が切れるんじゃないかと思われていた。でも、高校教師に未練が残っていた。

 

だから、心の中で神様に決めてもらうと思った。「応募をして、採用されたら、高校教師としては無理だ。大学に行けと言ったんだ。大学に落とされたら、お前が高校で頑張れ・・・」。結果大学に異動しました。それから、半年間、最善をつくして担任のクラスを育てた。当時は、学級経営がうまいね、と言われた。いいクラスだったと思います。そして、大学にうつって、自分なりにやりたいことをやったと思います。

 

三年後、高校に行きました、卒業式です。定時制高等学校は4年だから、2つのクラスがあった。全部持ち上がりです。片一方は私のクラス、完全にうまくいってクラス経営。もう片一方は、ぐちゃぐちゃ。非常に悪いですが、私は勝ったと思った。ところが、卒業式に呼ばれて愕然とした。隣のクラスの子は、ほぼ残っている。私のクラスの子はたった3人。他はみんなやめてしまった。私が、大学に異動した直後から、クラスが崩れた。結局私が、カリスマ教師になり過ぎてしまった。だから、私がいるときはいいクラスだった。でも、私という存在がいなくなったときから、崩れた。私が目指すべきクラス経営は、私がいなくても成り立つクラスを作るべきだった。ところが、楽しかった。だから、私が俺も俺と前に出てしまった。それから、必死になって考えた、私は、どんなことをすれば、よかったのか。ずっと考えた。今その答えが分かります。

 

皆さんに最初に問うた問いに対する私の答えは何か、教師が与えられる最大の物が何か、それは「多様で、多数の仲間」。です。これが最大です。そのために必要な職能は何か、集団を形成し、維持発展させること、そして、そのことの意味がいかに大事だということをクラスの中の2割弱のこどもたちに納得させる能力こそが、教師の最大の職能だと私は思います。

 

みなさん。今の時代、先ほど言ったように、3割の人が、3年間で離職する。いや大卒の3割か4割の人が非正規雇用なんです。つまり、今の時代かなりの若者が非正規雇用。非正規雇用の年収は170万円。皆さんが正規雇用された新規採用の年収の3分の1です。そして、その人の中では大学に行って、奨学金でいった人は月学4万返済をしなければならない。食べるに食べられない状態。

 

ではみなさん、

【そのような人たちが豊かに生き残るためには何が必要でしょうか。】

 

これを言うと、そんなこと先生にそんなこといわれる筋合いはない。自分の一人一人の判断でしょといわれるかもしれない。その通り。強いるつもりはない。でも、計算上の話でいえることです。

 

それは、結婚すること。仮に、年間170万×2であれば、世帯年収は340万円になる。夫婦で暮らすのであれば、生活費は2倍になりません。相対的に豊かになる。ところが、夫婦共稼ぎで大変なのは子育てです。もしも、子育てのときに有償の保育園に預けた場合、かなりのお金がかかる。だから、どうすればいいのか・・・、それは、親に頼る方法。だから、教員の世界は共稼ぎが多いです。その場合、夫か妻の親に子育てに一部お願いしていることが多いと思う。ところが昔と今は状況が違う、昔は、60歳で年金を満額もらえた。でも、今は65歳、皆さんの時代には70歳から年金がもらえるような時代。子育てで助けが必要な時、親は働いているのです。気楽に頼まれては困るわけです。

 

どうしたらいいかというと、夫か妻の両親に頼む、つまり6人がかりで、子育てをする必要がある、皆さんの勤務地から遠いところにいる親に保育園に行ってくれ、むかえにいってくれって言えますか。言えない。じゃあどれくらいだったら頻繁にお願いできるか、それはおそらく中学校区でしょう。すなわち、これからの世界、安定する生活に必要なのは、同じ中学校区に、妻と夫の実家があることが望ましいのです。

 

皆さんに問います。【出会いはどこ?どこであるべき? 】

 

そうです、小学校中学校です。もちろん不純異性交遊をするということではなく、しかし、相手に対しての感謝、尊敬、親しみ・・・そういうものを植え付けるような学校教育は必要だと思いませんか。

 

次に先ほど言ったように、3年間で3割失業。失業したら、再就職しなければならない。ところが、これからの社会70歳まで働くとなると、20、30歳で失業したら再就職はできるでしょう。でも、50、60歳で再就職はものすごく大変。でも、再就職しなければならない。では、どのような人が再就職できるのでしょうか?特殊な能力がある人ですか?それはそう。でもそんな特殊な能力が必須であるならが、再就職できるひとはほとんどいない。再就職できるひとの特徴は何か。

 

それは、アメリカの社会学者が調べました。失業して再就職できた人に、なぜ再就職できたのかを問うたのです。その結果出てきたのは、「知人からの紹介」なんです。重要なのは、親兄弟親友ではない、知人であること。親兄弟親友は必死になって探してくれる。ただ、親兄弟知人は100人200人もつことはできない。でも、知人を100人200人もつことはできる。親兄弟親友の持っている人脈と、自分の持っている人脈と重なっている。

 

だから、多様で多数の知人を持っている人間は、より再就職に有利な情報を持ってくる。「〇〇さん失業したんだって、それならこういう就職口があるよ・・・」そういうものを持っているネッとワークが必要である。では、そのような知人をいつ得たらいいだろうか?

 

就職に得られる知人は、ほぼ100%同僚です。みなさんは、教員でしょう。同じ学校に勤めた先生が知人。民間に行った人は、自分の会社、同じ部局の人。ところが、会社が倒産する場合、その人たちが同時に失業する。すなわち、就職する暇がない。斡旋する間がない。では、失業したときに斡旋してくれる人はいつ得たらいいでしょう。就職前、すなわち「学校」ですよ。振り返ってみなさん思い出してください。みなさんは、失業したとき困った時に相談できる相手は何人いますか?数人はいるでしょう。でも、10人いる人はいますか?10人でもたりない、20人30人の知人を持っている人はいるでしょうか?

 

でも子どもたちには、それを与える必要性があるんです。今の授業で、そういうことが与えることができますか?教師対子どもたちの授業で?子ども同士がつながる、それも多様で多数の人とつながる授業が必要なのでないでしょうか?

 

 多くの教師の視野は、それは1年です。自分が担任しているころでしょう、中学校、高校の教師であるならば、それは3年間、でもいずれにしても、在学中だけを考えている。卒業した後は、その後の先生におまかせ。小学校の先生は中学校の先生。中学校の先生は高校の先生、高校・大学の先生は就職先におまかせ。ところが、昔は終身雇用を守ってくれた企業が子どもたちの将来を守ってくれた。しかし、今の日本はそれを守ってくれない。じゃ誰が守るべきなのか。私は教師だと思う。教師こそが子どもの卒業後、10年20年、30年、40年・・・・彼らが老齢になり60、70になったとき、幸せを保証できるのは、義務教育の教師だと固く信じている。そこで、どれだけの、人的ネットワークを与えられるかだと思う。

 

私には夢がある。それは、金曜日土曜日の夜。地元の小学校中学校に三々五々、集まってくる。みんな自分で飲みたい酒やウイスキーやソフトドリンクを片手に、そして、昨日の晩に作り置きしたおかずをタッパーに入れて持ち寄ってくる。そこに集まるのは、一緒に勉強した仲間。また、異学年学習によって上級生にも下級生にも一緒に勉強した仲間がいる。他愛のない話をする。ある時、家族中が忙しいから、子どもを預かってくれる人がいないかと言ったら、「それだったらうちが預かるよ。」と、いう声がでてくる。「ありがとね」という事が成り立つ。

 

ある時、いつも話を盛り上げる田中というのがそこにいない。それを気付いたある人が、「田中はどこいった」と、そしたら、「おまえ知らないの、あいつねきていない」「なんで」「あいつ失業したんだって。」「で、何で田中こない?」「あいつはみんなに顔向けできないんだって。」「あいつ、ばかだなぁ・・・、鈴木さん、今の話聞こえた。鈴木さんのところで人がいるって言っていたよね。田中んところに電話かけてくんない。」「おおわかった。」「おい、田中何で来ないんだ。恥ずかしいって?何バカなこと言っているんだ。おい、来いよ。おまえなぁ、いつも明るいときは、ゲラゲラしゃべっていいるんだけど、暗くなると何にもしゃべれなくなるんだな。いいよ、さっちゃんに変われ(さっちゃんは田中と一緒に勉強した仲間)。さっちゃん大変だね、わかった。いいよ。何も持たなくていいから田中と子どもたちを連れて一緒に来な、後は俺たちが何とでもやってみる・・・。」

 

これが私の目指す未来像です。これからの時代、企業は守ってくれない。それは、学校教育で、つながりをもった人的ネットワーク、中学校区を軸としたネットワーク、地域コミュニティこそがそれだと思う。夢みたいなことかもしれません。

 

でも、こんなことがありました、私は10年前にある中学校に関わっていました。そこには、英語で私の提唱する教育をやっていた先生がいた。一緒に勉強する教育です。そこに知的に障害がある子がいました。その子も取り込んで勉強するということです。最初は、オペラ座の怪人のような仮面をかぶっていた。なんか都合が悪くなると、それを被る。やはり通常学級のことうまく関われなかった。だからそれをやっていた。でもそれを積み重ねていったときに、ある日、それを外してクラスに来た。それを見た瞬間、全力疾走で廊下に行って、嬉しくって号泣した。やった、と思った。彼の人生、このクラスの人生に、何らかのことをなし得たのかもしれない、という気持ちで嬉しかった。それから、10年後、その学校の先生に会いました。あの時よかったねと話をしました。その先生曰く、あの学年は今でも仲良くって、毎月飲み会をやって、当然あいつも来ているし、クラスのほとんどみんな来ている。言ったとき幸せでした。なんでこういうことが起こるのか。それは、クラス全員が仲良しこよしだからではない。クラス30人のうちの3,4人の子どもが、この人的ネットワークを維持することが自分にとってとても大事であることを理解して、だから3,4人の間で、順繰りに飲み会の幹事をやっているんでしょう。

 

たったそれくらいのことであっても、素晴らしいと私は思う。それだったら、皆さんでもできることではないでしょうか。私は、それこそが、教師の仕事だと思う。それだとしたら、皆さんは、目の前にいる子どもの、一つひとつの問題に直接関わること、解決することができないかもしれないが、みなさんは目の前にいるすべての子どもたちに対して、その一生涯の幸せを、妄想することができる。想像することができる。これは、教師という職業にのみ許された特権だと思います。経済的にも恵まれている。誇り高い職業だと思います。迷わず進んでくさい。そして教師になってください。ご清聴感謝終わり。