かないの塒

日々の生活のなかで、気づいたこと、感じたことなどを書いていこうと思います。

何を拠り所にしてよいかわからなくなっていたなぁ・・・。

昨日のオンラインゼミ(https://bit.ly/3lMsgHn の話で、「進学校(高校)に行ったから・・・。」という話題がありました。

 

進学校は、地域の中学校の成績が上位の集まり。だから高校1年の終わりの頃には勉強しなくなる。だからエリート(学校の成績が優秀)であることがアイデンティティである子がつぶされていく。それは不幸だ。二番手でがんばったら・・・・という選択肢もある。

 

この話を聞いて、自分のことを思い出しました。私は、学区の進学校に背伸びをして入りました。中学時代は、ちょっと頑張れば一桁の順位をとっていたし、やればやった分だけ点数を取ることができました。自分のアイデンティティは、学校の成績だったんですね。部活にも特に力を入れていたわけではなく、自分の時間を使って誰かを助けることは損と思ってもいました。今思うと、残念だった人だったなぁと思います。そんなことだから、同じ中学校の友達はほとんどいません。

 

 で、高校にはいったら…予想通り、成績は下がりまくり、順位も最後から数えたほうがはやい状態。勉強することでアイデンティティを満たしていた自分でしたが、やっても成績が上がらず。その後は予想通り赤点を取らないレベルで勉強をしていました。、何を拠り所にしてよいかわからなくなっていたなぁ・・・。

 

 時代の流れというものはありますが、私の中学時代は、バブル絶頂だったから、「偏差値が高い高校→偏差値が高い大学→大企業就職」という流れが「勝ち組」であり、「幸せ」のモデルでした。正直、それ以外は知りませんでした。まあ、その時はよかったのかもしれません・・・。未来が明るかったから・・・。

 

ところが、今の時代にそぐわないのは自明です。「知らなかった・・・。」で、偏差値というものさしでしか進路決められない子どもたちは、不幸になります。少なくとも、今までの「年功序列制度」「終身雇用制度」が崩れてきているわけです。だから、「学歴」ではなく、「学習歴」が必要であるということ、また、「地元のつながり」に価値があることなどの情報を与え、「子どもたちに選択肢を与えて、その中で「自分の幸せ」について考える機会を与えることが、学校の先生である「私たち」ができることなのではないかと再確認しました。

 

 そして、「誰と出会うか」でも、人生は変わってくるということも伝えていきたいですね。